将来の職業を決めたのは中三の夏でした
親:できれば歩いて通学できる高校がいいよ!
進路の先生:とりあえず普通に高校へ行き看護師の道に進めばいい!
遠い衛生看護科のある学校に行く通学費を出して欲しい!とか
寮に入りたい!とか
今思えば説得できたのにな、とも思えましたが
意思決定が未熟だった私は流れに乗って近所の高校へ通います
部活をしても、遊んでも、なんだか満たされない毎日・・・
販売職のバイトを始めて対人サービスの楽しさに再度目覚めます✨
そこから「決めたことは一直線!」の性格がさく裂して
高校へ入ってから間もなかったですが
【希望する看護学校へ推薦してもらうため!】徹底的にやれることをしました♪
保健委員会や救護班に参加し続け
病院や福祉のボランティア活動に出向きました
販売職のバイト は看護学校時代まで続き、私にとっては接客の勉強になりましたね
メラメラと奉仕心に燃えていた私は早々と進路も決まりその道へ進みました
入学後も、ちょうど国体の担当が広島だった年で、
看護学生達は救護も兼ね、キャンギャルの任命を受け、ワイワイ活動しました
夢まであと一歩!あと1年で夢の現場で働ける!
そんな私に悲劇が起こります
初めての挫折かもしれません、、、
続きます♪
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